日本銀行(日銀)の法的なマンデートが物価安定であるならば、足元の物価上昇が政策変更につながっていないのはなぜなのだろうか?本稿では、日銀が何を見ているのか、何が起きれば政策変更があり得るのか、検討してみたい。
2%の物価上昇目標の達成は難しかった
日銀は、2013年以来、消費者物価指数(CPI)の前年同月比2%を物価安定の目標として掲げている。2023年4月のCPIは総合指数で3.5%、生鮮食品及びエネルギーを除く「コアコア」総合指数で4.1%の上昇となっており、目標を大きく超えているが、日銀は2023年6月の政策決定会合ではマイナス金利政策、イールドカーブコントロール(YCC)政策のいずれに関しても現状維持を決定した(以前の記事『日銀も金融政策変更に踏み切るか?』ご参照)。実質賃金の上昇圧力が弱いことを理由に挙げ、直近の物価上昇は一時的なものであると判断した4月の決定会合から大きな変更はなかった。
実際、過去の歴史を見ればその見立ては正しいようにみえる。度重なる金融緩和策にも関わらず、ここ25年で物価上昇率が2%を上回ったことは、消費税引き上げ直後の特殊要因を除けばほとんどない(図表1)。
また、諸外国の直近の物価動向も今後の日本の見通しの参考になる。過去のインフレ率のサイクルを見ると、米国が先行し、そしてヨーロッパや日本がラグを伴って追随していることが見て取れるからだ。足元では、米国のインフレが既にピークアウトしていることから、ヨーロッパや日本でもほどなく落ち着くことが予想される(図表2)。
では、日銀の金融政策には変更の余地がないのだろうか?そうとは言い切れない要因があるため、詳細に見ていきたい。
為替に翻弄されてきた日銀
食料及びエネルギーの自給率が低い日本では、天候や市況など外的要因に左右されやすい生鮮食品とエネルギーを除いた「コアコア」CPIでさえ原油やコモディティ価格の影響を強く受けるのだが、このため円建てコモディティ価格は最も単純な物価の先行指標となる(図表3)。
この円建てコモディティ価格を米ドル/円の為替レートと米ドル建てコモディティ価格に分解すると、グローバル経済の中で決定されるドル建てコモディティ価格は所与のものであるので、結果として為替レートが常に世間から注目されてきた。日銀の金融政策は為替に翻弄されてきた歴史でもあるのだ。実際、2022年に起きたことを振り返ってみると、10月に米ドル/円レートが1990年以来の150円に到達、11月に政府が日銀に柔軟な対応を求め、12月にマーケットが予期しないタイミングで日銀がYCC政策における長期金利の変動幅の拡大に踏み切った。これを見る限り、日銀の行動の主因は為替であり、ロイターを始めとするメディアもそのように報道している(ロイターの記事ご参照)。
また、当然のことであるが、政府は生活コストの上昇につながる円安には敏感であり、為替が政治問題化することを避けようとする。言い換えれば、日銀にとって為替の安定は物価安定のために必要なだけでなく、政治的な安定のためにも必要なのである。
そこで、現在の為替市場を取り巻く状況を検証すると、円安のリスクが無視できないものであることが明らかだ。経常収支は黒字で円の信認に関しては問題ないが、黒字の主因である所得収支の大部分を占める海外事業所得や利子・配当所得は海外で再投資される部分が大きいため、そのまま全額円を買う要因とはならない。一方で、今や構造的なものとなった貿易収支の赤字はほぼ円売りの材料となる。最近はまた、ボラティリティの低下と金利差の拡大を受けて、金利差に着目したキャリートレードに適した環境が整いつつあり、これも円安要因となる。そして直近盛り上がっている海外投資家による米ドル・ベースの日本株投資(為替ヘッジのための円売りを伴う)の人気は、加速すれば円安要因となり得る。
投資家への道標
これらの状況を踏まえると、マイナス金利政策を温存しつつYCCの撤廃をする金融政策変更の可能性は十分にある。特に米ドル/円が現在の140円近辺から再び150円に向かう状況になれば、日銀に対する圧力は高まるだろう。実際にYCC撤廃ということになれば、キャリートレードの巻き戻しも生じ得るため、130円辺りまで戻る可能性もある。また、日本国債10年物の金利は現在の0.4%から0.8%程度への上昇を見込んでいる。
日銀は、為替レートが金融政策変更の主因となり得る中において2%の物価上昇目標達成の舵取りをしなければならない難しい状況にある。一方で、国債市場の投資家にとっては、為替レートを道標にして好機を見出すことが可能な市場環境になっていると言えるだろう。
【ご参考】金融政策のインプリケーションについては、以前の記事『円金利の復活は外債投資を変えるのか?』もご参照ください。
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